それでも
さらざんまい最終回を経ての感想
現実では死んでしまった人は生き返らない。自分の犯した罪は消えない。失ったものは二度と元には戻らない。世界が素敵なものだとは限らない。
それでも私たちは生きていかなくちゃいけない。
歯を食いしばり拳を掲げること。声を上げること。歩みを止めないこと。生活の中に祈りは宿るのだ。
私は輪るピングドラムが大好きで、ほんとうにうつくしい物語だと思っている。
だからこそ幾原監督が作中で明確に自己犠牲を否定したのは衝撃だった。
輪るピングドラムで兄弟二人は運命の乗り換えをして世界から退場する。愛する人を救うために自分の身を投げ出すことはひどく耽美に見える。
けれどさらざんまいは違う。世界は革命されないし、運命の乗り換えも起こらないけど、だれも消えたりしない。あと全然耽美じゃない。(尻子玉を抜くシーンとかちょっと汚いし)どこまでも泥臭く地道に現実と向き合う。罪を償い、喪失の痛みを抱えて生きていく。
”それでもつながりをあきらめない”っていうのは、私を一歩先に連れ出してくれたように思う。
「選んでくれてありがとう」
輪るピングドラムで私が一番好きな台詞だ。世界で一番うつくしい台詞じゃないか?とすら思うほど。
でもこれは希望でもあり絶望でもある。
だって「選ばれないことは死ぬことなの」だから。
私はだれにも選ばれなかった。少なくとも私はそう感じていた。
どこにいっても何をしてても自分だけ浮いているように思える。
飲み会でトイレから帰ったら必ず私の席はなくなっている。ありきたりだけど私の人生はいつもそんな感じだ。常に椅子とりゲームに負け続けているような感覚。
だれも私を選ばないし、私もだれを選ばなかった。これからもそうだろうなと思う。
でも、それじゃあ私は透明な存在になるしかないの?
そういう暗いモヤモヤがずっとついてきてた私に、”それでもあきらめない”というメッセージは眩しかった。
つながりは脆い。画面をタップしてアカウントを消してしまえばそれでおしまい。後にはなんにも残らない。
それでも。
それでもつながりを求めてしまう。そして「だれかとつながりたい」という欲望を捨てなければ生きていけるのかもしれない。
”いざ、未来へ——。”
少し過剰で野暮にも思えるけど、それくらいまっすぐに届けられたメッセージを受け取ってしまったから。
現実はどうしようもなくて、私はいまだに内定0で就活中で昨日のゼミもサボったし、今日の夕飯は19円のもやしと30円の麺でつくった焼うどんだ。
金も才能もないしきれいでもない。
でもそれがどうした?
世界に絶望し円の外に向かおうとした男の子がそんなことを言うんだから、私のありふれた現実もそれがどうした?なのだ。
とりあえずもう少し生き延びようと思う。
見たいお芝居のチケットを二枚買ってあるので、あと三ヶ月は生き延びなきゃいけないし。