箱の中に最後に残ったのは希望でした、
※この記事はメサイア黎明乃刻のネタバレを含みます
刻シリーズからのファンでまだまだメサイアシリーズのことは勉強中なのでおかしなところがあったらそっと教えてもらえると助かります。
黎明を見終えてとても清々しい気持ちになった。辛くて苦しい道のりを歩いてきた彼らが迎えた結末を見て、ただただ清々しい気持ちだけが残った。
ひたすらに愛の話をしてきたメサイアシリーズが好きだなと思った。もっと早く出会いたかった気持ちもあるけど、今は黎明に立ち会えたことへの感謝が大きい。
・万夜とレネ
昔のメサイアを乗り越えるための解決策が「万夜と小太郎二人のメサイアになる」ことなの、力技だけどレネだからこその説得力を持っていたように思う。レネ、あまりにも光すぎる。
レネという眩しいほどの太陽みたいな男のおかげで、万夜は祝福を手に入れることができたのではないかと思った。
呪いと祝福は紙一重だ。
万夜はどんな地獄でも死ぬことはできなかった。それは自分の中にいる小太郎を殺すことにもなるからだ。月と太陽が一つになってお互いを救っても、その後の万夜は「棺桶に片足突っ込んだ状態」と称されたり本当に苦しそうだった。小太郎の存在がある種の呪いにもなっているように見えた。
「お前ら二人を守る」と言ってもらえて小太郎の存在を祝福に昇華できたんじゃないだろうか。
銃口を自分に向けられていても必死に万夜の名前を呼んで守ろうとするレネの切実さが胸に迫る。当たり前だけど、彼も何かを失ってチャーチにいるのだ。これから先普通に友人や恋人をつくって生きていけるような道を捨てて、彼の唯一無二を選ぶ。
いつもメサイアをなにか別の言葉に置き換えようとするけどうまくいかない。
「お互いに唯一無二の存在」でも足りないかもしれない。
(完全に余談だけど、レネが自分が死ぬより万夜が傷つく方が怖いと思い始めたきっかけというかそこらへんの掘り下げをCODEEDGEで見たかったなあ…)
・穂波と昴流
メサイアというシステムを持たない彼らも共に生きることを決意する。
「手伝ってやる」というのがいいなと思った。
犯した罪は消えない。失った命は戻らない。代わってあげることなんてできないけど、そばにいて「手伝う」ことはできる。
このシリーズの中で純粋な悪役というのはあまりいない。
皆それぞれの信念のために戦ってぶつかりあう。
誰より人を救いたいと願った穂波の魂が贖罪によって救われればいいなと思う。
・ユキ
このシリーズでこんなにストレートに「愛していた」という言葉を使うのほとんどない気がする。
去り際に雛森の後ろ暗い気持ちを払拭して行くの、それこそ愛だなと思う。
昔何かの小説で、「人は手放すときにこそ真価が表れる。愛を持って手放すことは難しい」というような内容があった。
いつまでも未練がましく引き留めてもダメだし、あっさり投げ出すのもいけないと。
かつてのメサイアに最大限の祝福を送って逝くのは、これ以上ないくらい愛に溢れていた。
・雛森と小暮
——おまえが、おれを人間にしたんだ
小暮を人間にしたのが雛森なら、雛森を人間にしたのも小暮なのかなと思った。
CODEEDGEで万夜は雛森のことを「チャーチのシステムが服着て歩いてるみたい」と表現している。
5年間の眠りから覚めて、”メサイア以上の絆”があったというかつてのメサイアを失って、チャーチのシステムの一部として機能していたのが、小暮と一緒に試練を乗り越えることで血の通った人間になれたんだと思う。
(私はまだメサイア以上の絆が何なのか考えている。全然わからないけど)
肉体的・精神的に一つになって互いを救ったメサイアはいたけど、もし「人間になる」ことで2人が手を取り合って黎明を迎えることができるとしたら...
— 夜 (@yoru__07) 2019年8月23日
これは観劇前のツイートだけど、遠からずな感じだった。
悠里淮斗や柚木小太郎のような形で共にあることはできる。
それは少し悲しくてとても美しい結論だけれど、誰かの神様になって救うんじゃなくて、人間だからこそ手を取り合って歩いていけるんじゃないだろうか。弱くて迷ったり傷ついたりする人間だからこそ。
(もちろんどのコンビが選んだ道も尊くてかけがえのないものだけど)
ものすごくきれいに清々しく終わったからここで終わりでいいなあ、という気持ちとあの鐘の鳴る中で卒業していく彼らが見たいなあという気持ちどっちも同じくらい強い。
でもとりあえずは、この作品に拍手を送りたい。
おわり